西荻窪の整体師たけちゃんの福朗日記

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山梨桃源郷2010其之弐

桃畑の途中に突如現れた小高い場所。こ、これは一体!?

こ、これはまさか!?(車田正美のマンガ風)
大好きな城跡じゃあないですか。「小山城跡」と書いてあります。
城名も、こんなトコにあるなんてのも知りませんでした。
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学校の校庭ほどの広さ、周囲は高い土塁で囲われ、そのまた周りは空堀。
ぐるっと満開のサクラ!!こんないい場所なのに3~4人しかいません。
(いつかお弁当持って花見に来ようっと♪)
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土塁の上はサクラのトンネルが出来ていました☆
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近くで見ても素晴らしい!ずっと見上げて首が痛くなった。
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城跡から甲府盆地を望む。
これこれ!これぞ甲斐の桃源郷ですよ!一面、ピンクの絨毯を敷いたよう。
見晴らしの良い丘の上。ここに築城したのが納得できる!
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甲斐の山々 陽に映えて~♪(武田節)
うーん、出身地でもないのに懐かしさを感じるのは何故・・・。
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空堀。地元の方が植えたというサクラで飾られています。
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小山城を支配していたのは穴山氏。数代後に武田二十四将の一人として有名な
穴山梅雪斎信君がいます。信玄公の甥にして娘婿、歴とした武田一族。

信君は信玄公家臣団の親族筆頭として勢力を誇りますが、信玄公が亡くなると
早い段階から勝頼を見限り、徳川家康に密かに接近。
(勝頼は能力の高い大将でしたが若いためにナメられ、家臣団の足並みが
乱れたことが武田崩壊の原因だったようです)
武田滅亡後は家康の家臣として迎えられ、武田宗家を継承する・・・はずでした。

家康と大阪・堺を見物中に、天下目前の信長が討たれる本能寺の変が起こり
世は再び混乱。治安乱れる畿内から逃亡中に穴山信君は死亡しました。
家康に成敗されたとも、痔のため馬に乗れず家康に遅れて土民に討たれた
とも言われています(誰?笑ったのは)。

余談ですがその後・・・
敵であった武田家の消滅を惜しんだ家康は、自分の五男に武田家を継がせ
「武田信吉」を名乗らせますが早世し、武田家は断絶しました。

んまぁ~、とってもいい時期にここへ来られてよかった!
最高の散歩コースを新発見しました♪
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車で一宮へ。
「金川の森」でチャリ借りてサイクリング☆桜並木をのんびりと・・・。
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「ケーン!」と甲高い声。
北斗の拳のリンではなく、キジでした。
鳴かなければ見つからなかったのに!ガハハ。赤い顔、目立ってるよ!
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いきなり足元から黄色い口ばしのイカルが飛立つ。ピンボケちゃったけど初撮影☆
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のどかな畑道。
山梨の人は優しい方が多いですが、こんな風景からも窺い知れます。
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この時期、一帯各所で「桃の花まつり」をやっています。
桃の花見しながら名産品をつまんだり・・・なんかもいいですね。
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また来年、咲いて魅せてね!!
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(この周辺の桃開花状況はこちらのサイトで確認しました)
http://www.fuefuki-syunkan.net/momo_kaika.html


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